1959年夏、高橋太郎(ダックス創業者)は、湘南の葉山で仲間たちとキャンプをすることが
恒例でした。
まだ浜辺で煮炊きしていても問題がなく、浜辺もキレイだった時代です。
太郎は煮炊きをするため、近所の雑貨屋から、不要な雑誌をもらってきて、
何気なくめくっていると、一枚の興味を引く写真が載っていました。
それは、ハワイの海岸の写真。
長い板に乗り楽しんでいる多くの人の姿が、そこには写っていました。
太郎はこのとき、生まれて初めて「サーフィン」という言葉を知ったのです。
夏が終わり、東京に戻ってきた太郎は、あのハワイの写真ことで頭が一杯でした。
「あの板に立って乗ったら、きっと気持ちいいだろうなぁ…」そう思い立った太郎は、
実家の近所の材木屋からあまったベニヤや材木をもらってきて、 自作のサーフボード製作に乗り出すことにしたのです。
写真の記憶を頼りに、ベニヤをサーフボード型に削り出し、ペンキを塗って出来たサーフボード1号。
長さは2m80㎝あり、イエローカラーのデザインでした。
さっそく海で乗ってみたものの、サーフボード1号は、 パドリングで直進することが出来ず、すぐ波にもまれてしまいました。
1号が失敗に終わり、ガッカリした太郎は、国立国会図書館でサーフィンの資料を探し、 本格的にサーフボード製作することにしました。
しかし、まだサーフィン自体が、国内で一般的ではなかったため、 具体的な資料が見つからず、仕方なくハワイに関する資料を片っぱしから読みあさりました。
すると、ワイキキのことが書かれた資料の中に、サーフボードの写真が載っているのを発見しました。
そこで、板の後ろの方についてるヒレのようなもの…スケッグ(フィン)の存在を 初めて知ることになります。
スケッグの存在を知った太郎は、「これが直進する要因だ」と考え、 試行錯誤の上、フィンをつけたサーフボード2号を完成させました。
1号に比べ、頑丈に作り、フィンのついた2号は、パドリングが直進するようになったものの、 今度は、立とうとするとスリップして、全く立ち上がることが出来ませんでした。
しかも、木材を多く使っていたため、長い時間入水していると、 どんどんサーフボードが水を吸ってしまい、重くなり過ぎた2号は海へ沈んでいってしまいました。
冬の間、改良を重ね、サーフボードを何重も、ペンキでコーティングすることで、 水を吸ってしまう欠点を克服したものの、立ち上がった時にスリップしてしまう問題は 以前として抱えていました。
1961年春。
葉山に、2号改良型サーフボードのテストを兼ねて海に出かけたとき、 そこで運命の出会いを果たすことになります。
横須賀に駐留していた米軍兵士の息子・ブラウンが、葉山でサーフィンをやっていたのです。
器用に波に乗るブラウンを見て、太郎は驚きながらも、サーフボードの上でスリップすらしない 彼が不思議でなりませんでした。
そして、ブラウンが、浜辺でサーフボードになにかを塗っているのを見て、 太郎は「あれが滑らない魔法だ」と確信しました。
さっそく借りてみて、自作のサーフボードに塗ってみると、 今までスリップしていたのが嘘のように、すぐに立つことができました。
ブラウンとは言葉が通じなくても、すぐに友達になり、本物のサーフィンの知識、テクニックを 教えてもらいました。
その後、アメリカのサーフボードの製作を詳しく紹介したサーフィン専門誌を手に入れ、 それを参考に、2号を改良していき、本格的なサーフボード「ダックスサーフボード」を完成させました。